各務原大橋プロポーザル
2005
Kakamigahara ,Gifu

+八千代エンジニアリング

“かかみがはら”を感じる場所
〜川との対話の場として〜

古代人の古墳が多く残る各務原。現在でも市の57%の緑があり水と緑に囲まれ、環境的にめぐまれた地域である。とりわけ木曾川は古くからこの各務原に多くの恵みを与えるとともに自然の偉大さを教えてきたに違いない。
河は数百年前まで重要な交通手段であった。それ自身が産業の道であった。木曾川の流域の人たちにとって木曾川は生活の一部であった。そのためあまり河に橋をかける必要はあまりなかったのかもしれない。しかし時代は変わり車社会となり、河に橋を架ける事が必要になった。その橋は、河に変わってこれからの新しい動線になる。そしてそれは、各務原の発展に欠かせないものである。道が変わっても木曾川は各務原の歴史そのものであり、自然を感じられる息吹でもある。橋は、それをあらためて感じられる唯一の場所になるのではないだろうか。そしてこれからの“かかみがはら”の発展になくてはならないランドマークにもなるのではないだろうか。

日本の原風景に架かる橋
〜人々の原風景に残る橋〜

人には様々な原風景をもっている。雄大な自然に囲まれゆったりと時間が流れてゆくそんな原風景を持つ人も多いだろう。この“木曾川”が見せる原風景も人の心をなごませる。源流には木曽の山々、西には伊吹山が望めそこに雄大に流れる木曽川は日本を代表する景観ではないだろうか。雄大な自然の中に架かる橋。数百年前まで道であった河を渡るときそこに人々の歴史や、すばらしい日本の原風景を感じる事が出来る。誰もがこの河を渡るとき心の原風景に出会う事が出来る。そんな橋が木曾川に今架かろうとしている。“かかみがはら”の人々の原風景に刻まれる橋であると同時にいつかまた立ち返りたい場所になってほしい。

風景と調和する自然な構造体
〜遠景と近景の対比〜

日本には、日本古来のわびさびに加え、自然や季節感を表現する図案が数多く残っている。庶民は昔から身の回りの物や生活に取り入れ楽しんできた。この各務大橋にもそんな日本的な感性をどこかに何気なく取り込みたいと考えている。中でも植物や自然の文様はその空気感までもが伝わってくるものも多い。風になびきしなる植物や白波がたつそのイメージ等もその一つではないだろうか。雄大な自然と極端に対比してしまっては人々の原風景にはなり得ない。自然からイメージされる構造体は、その中でも違和感なくとけ込んでくれるのではないだろうか。自然な構造体とはマッス的な巨大な構造ではなく、木の枝のように、「一つ一つは繊細ながらも全体で大きな構造物が成立している。」遠景ではある程度力の伝わりがハッキリわかるようなダイナミックさをもち、近景では繊細な構造材で構成されているのがわかる。こんな二面性をもちあわせた構造体を提案している。

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